「成長する防衛産業」の現在地
「2022年当時、防衛産業は、いわば『冬の時代』でした」
そう振り返るのは、元防衛装備庁長官で現・一般社団法人安全保障ビジネスイノベーション協会(SBIJ)特別顧問の土本英樹氏だ。2022年12月に策定された戦略三文書では、防衛産業が「防衛力そのもの」と位置付けられた。翌2023年には、防衛産業を支援する防衛生産基盤強化法も成立した。現在では防衛関連企業への注目が高まり、新規参入を検討する企業も増えている。しかし、わずか数年前まで支援制度は整備されておらず、国内の防衛産業では利益率の低さを背景に、事業から撤退する企業が相次いでいた。
新著『成長する防衛産業 基盤強化の施策と課題』は、こうした「冬の時代」から政策転換に至る過程を、当時の防衛装備庁長官だった土本氏がまとめた一冊だ。
NSBT Japanは土本氏と、新著の第4章「防衛装備品の調達制度の概要と課題」を執筆した元防衛装備庁職員の中谷直樹氏にインタビューした。前編では本書を執筆した理由と、戦略三文書によって防衛産業の位置付けがどのように変わったのかを聞いた。
防衛産業の「過去・現在・未来」
――元防衛装備庁長官として長年この分野に携わってこられました。今、このタイミングで本書を出版した理由を教えてください。
土本英樹(以下・土本) 私が防衛装備庁長官に就任したのは2022年夏でした。当時、防衛産業は、いわば「冬の時代」と言えるほど厳しい状況にありました。一方、政府では新たな戦略三文書を策定することが決まっており、防衛産業についても、さまざまな政策を打ち出さなければならないという基本的な方向性がありました。2022年12月に策定された戦略三文書では、防衛産業を巡る各種施策を盛り込みました。その後、防衛生産基盤強化法も制定されました。
それから約4年が経過し、新たな戦略三文書の策定も予定されています。防衛産業についても、新しい施策が打ち出されることになるでしょう。
そこで、防衛産業の「過去・現在・未来」を一冊に整理しておきたいと考えました。当時どのような課題があり、どのような政策を実施したのか。その後、何が進み、どのような課題が残っているのか。いわば備忘録としてまとめておきたかったのです。
防衛装備品の調達制度は非常に複雑で専門性が高いため、当時の同僚で、調達制度の第一人者である中谷直樹さんに第4章の執筆をお願いしました。
本書は、政策の解説書であると同時に、制度改革に携わった当事者による記録という性格も持つ。第1章では日本の防衛産業の現状と課題、第2章では戦略三文書による改革、第3章では防衛生産基盤強化法、第4章では防衛装備品の調達制度、第5章ではなお残る課題を取り上げている。
企業から相次いだ「利益が出ない」の声
土本氏が長官に就任した当時、防衛産業基盤の弱体化は、どこまで深刻だったのか。
――防衛政策については防衛費の増額ばかりが注目されます。長官在任時、防衛産業基盤の問題はどの程度深刻だと認識していましたか。
土本 私が防衛装備庁長官に着任した当時、国内の主要な防衛関連企業の防衛部門や、各社の経営トップと意見交換を重ねました。そのなかで、企業から最も多く聞かれたのが、「防衛部門は利益率が低い」という問題でした。
民生部門と比べて、防衛部門では十分な利益が出ない。その結果、多くの企業が防衛事業から撤退する。そうなれば、必要な防衛装備品を国内で作れなくなります。その意味では、本当に深刻な状況だったと思います。何らかの具体的な支援を行わなければ、このままでは防衛産業基盤が立ち行かなくなる。そうした危機感がありました。
防衛装備品は、完成品メーカーだけでつくられるわけではない。材料の確保や電子部品の開発と生産、加工、整備など、多数の企業がサプライチェーンを構成している。
その一部が撤退した場合、代わりの企業をすぐに見つけられるとは限らない。市場規模が小さく、高度な品質管理や情報保全を求められる部品の場合、国内で作れる企業が一社しかないこともある。一社の撤退が、防衛装備品全体の生産停止につながりかねない構造があった。

防衛装備庁長官に就任時、企業から最も多く聞かれたのが「防衛部門は利益率が低い」という問題だった=NSBT Japan
防衛力は「人」と「装備品」でできている
2022年の戦略三文書では、防衛産業が「防衛力そのもの」と表現された。土本氏は、この位置付けが過去との最大の違いだったと指摘する。
――戦略三文書では、防衛産業が国家防衛の重要な基盤として位置付けられました。過去と比べ、何が変わったのでしょうか。
土本 まず、防衛力とは何で構成されるのかを考える必要があります。非常に単純に言えば、防衛力は「人」と「物」で構成されています。「人」は自衛官であり、「物」は防衛装備品です。
防衛装備品は、最初の研究開発から生産、維持整備、必要に応じた能力向上、最後の廃棄まで、ライフサイクル全体を支えなければなりません。その全体を担っているのが防衛産業です。つまり、防衛産業がなければ、防衛装備品はつくれませんし、維持することもできません。
2022年12月の戦略三文書では、「防衛産業は防衛力そのものである」という位置付けを打ち出しました。閣議決定される非常に重い文書の中で、防衛産業を正面から位置付けた。これが、過去と比べて最も大きく変わった点です。
それまで防衛産業の位置付けは必ずしも明確ではなかった。防衛事業を手掛ける企業の中には、社会的な批判と企業イメージへの影響、いわゆるレピュテーションリスクを懸念し、防衛部門であることを積極的に公表しない企業もあった。
――企業が防衛事業を前面に出しにくい状況があったのでしょうか。
土本 そうです。企業によっては、防衛部門と言わずに「特機部」といった名称を使い、「防衛」という言葉を正面に出さない例もありました。防衛事業を行っていることに対して批判が出たり、デモが行われたりする可能性もあり、企業が「防衛事業をやっている」と表立って言いたくない時代がありました。それを変える第一歩として、「防衛産業は防衛力そのものだ」と政府が位置付けた。この点は、防衛産業側から非常に歓迎されたと思います。
企業が「防衛事業をやっている」と表立って言いたくない時代があった=NSBT Japan
三つの前進と、残された課題
土本氏は、2022年以降の防衛産業政策で、大きく前進した点として三つ挙げた。一つ目は、防衛産業を「防衛力そのもの」と位置付けたこと。二つ目は、利益率の算定方式を見直したこと。三つ目は、防衛生産基盤強化法を制定したことだ。
――具体的には、どのような改革が前進したのでしょうか。
土本 一つ目は、防衛産業を正面から「防衛力そのもの」と位置付けたことです。二つ目は、利益率の算定方式の見直しです。制度上は一定の利益率が設定されていても、実際に企業に残る利益は低い状況がありました。そこで、企業が利益を生み出すインセンティブを持てるよう、新たな算定方式を導入しました。三つ目は、防衛生産基盤強化法です。1954年の防衛庁の発足以来、防衛産業を直接の対象とする法律はありませんでした。戦略三文書を受け、2023年に初めて、防衛産業を支援するための法律を作りました。
一方、改革は完了したわけではない。土本氏が特に大きな課題として挙げるのが、人材確保と新規参入支援だ。
――まだ十分ではないと感じる点はありますか。
土本 課題はまだ山ほどあります。大きなものの一つが、人の手当てです。自衛官の人材確保が課題になっていますが、「防衛力そのもの」と位置付けられた防衛産業でも、技術者や技能者、労働力の確保が大きな問題になっています。
もう一つは、スタートアップなど、新たに防衛産業へ入りたい企業を、いかに円滑に参入させるかです。防衛省も経済産業省の協力を得ながら取り組んでいますが、法律などを含め、支援できる枠組みをもう少し制度的に整えられないかと考えています。
防衛産業を国家防衛の基盤と位置付けるだけでは、産業は維持できない。
適正な利益を確保し、人材を育成し、新たな企業や技術を受け入れる仕組みを整える必要がある。「冬の時代」から抜け出すための改革は始まった。しかし、土本氏が語るように、日本の防衛産業はまだ道半ばにある。
中編では、防衛産業は本当に「成長産業」になり得るのか、スタートアップに何が期待されているのかを聞く。さらに中谷氏に、新規参入企業が知っておくべき防衛装備品の調達制度と、その問題点を尋ねる。
(聞き手・写真:NSBT Japan編集部)
(中編に続く)